親台国として知られる日本と、親日国として知られる台湾の間には、強い絆を示すエピソードがたくさんあります。今回はそれらをいくつかご紹介していきます。
震災時に互いが厚い支援を行った
東日本大震災時の支援
日本と台湾の間には、災害時に互いを助け合った温かいエピソードがいくつも存在します。中でも、2011年の東日本大震災と2024年の台湾東部地震の際の支援は、その絆の深さを象徴するものでした。
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、未曾有の被害をもたらしました。被災地では甚大な被害を受け、インフラや住宅が壊滅的な状況に陥り、多くの人々が避難を余儀なくされました。その際、台湾からは約200億円もの義援金が寄せられ、これは国・地域別では最大の額でした。この額は、日本と同じく地震の被害をよく知る台湾の人々が、真心を込めて日本を支援しようとした結果です。
さらに、義援金だけでなく、医薬品や食料などの支援物資も送られ、多くの日本人を勇気づけました。また、台湾の民間団体やボランティアが被災地を訪れ、炊き出しや物資の配布を行うなど、具体的なサポートも行われました。この支援は、日本の被災者にとって大きな励みとなり、多くの日本人が台湾への感謝を抱くようになったのです。
台湾東部地震時の支援
一方で、日本も台湾への支援を惜しみませんでした。2024年4月3日に台湾東部を襲った地震では、花蓮を中心に大きな被害が発生しました。日本は、迅速に救援活動を開始し、多くの救援物資を送りました。さらに、日本からの義援金も1億円以上にのぼり、これは海外からの寄付金の中で最も多いものでした。地震発生直後から、台湾の被災者を支援しようとする日本人が多く、街頭で募金活動が行われたり、支援物資が集められたりしました。この際、現地の協力団体やNGOと連携しながら、日本の支援が被災地に届けられました。これに対して、台湾の人々からは「日本からの支援に感謝します」というメッセージが多く寄せられ、再び両国の友情が確認される場面となりました。
このように、日台間の支援は単なる金銭や物資の提供にとどまらず、心と心が通い合ったものといえます。例えば、東日本大震災の際には、台湾の小学生が手作りの応援メッセージを添えて義援金を寄付したり、日本の学生たちが台湾の人々に感謝の手紙を送ったりするなど、温かい交流が続けられました。また、震災後の復興イベントでは、日本と台湾の交流が積極的に行われ、被災地の人々も台湾の支援に感謝の意を示す機会が多く設けられました。
災害という困難な状況にあっても、互いに手を差し伸べる姿勢こそが、日台間の信頼と友情を深めているといえます。
その他のエピソード3選
日台間の友情は、上記に留まりません。その他、両国の絆を示すエピソードをご紹介します。
1つ目は、「台湾国内での日本文化人気と日本語学習意欲」です。台湾では、日本文化が非常に人気であり、多くの人々が日本語を学んでいます。2019年には、日本語能力試験(JLPT)に台湾から43,000人以上が受験し、その人口比率では世界トップクラスとなっています。これは、日本に対する興味や親しみが強いだけでなく、日本との関係をより深めたいという台湾の人々の思いを反映しています。台湾国内では、日本のアニメやドラマが日常的に視聴されており、日本の食文化やファッションも人気です。これらの文化を通じて、日本と台湾の交流はより一層深まっているのです。
2つ目は、「東日本大震災後の交流イベントや観光促進」です。東日本大震災の後、日本各地では台湾への感謝を込めたイベントが多く開催されました。例えば、福島県では「台湾フェア」が定期的に開催され、台湾のグルメや文化を紹介するブースが設けられ、多くの人が台湾文化に触れる機会を持ちました。また、台湾からも日本への観光客が増加し、震災後の観光業復興に大いに貢献しました。2018年には、約475万人の台湾人が日本を訪れ、日本の観光業にとって大きな支えとなったのです。このような交流は、観光という形を通じて、お互いの文化を理解し、絆を深めることに大きく寄与しました。
3つ目は、「熊本地震での台湾からの迅速な支援」です。2016年に発生した熊本地震でも、台湾から真っ先に支援の手が差し伸べられました。台湾政府は、地震発生後すぐに1,000万円の寄付を表明し、その後、寄付金は6,400万円に増額されました。さらに、民間からも多額の義援金が集まり、日本の被災地に多大な支援を提供しました。この際、台湾からの支援は金銭的なものだけでなく、ボランティア活動や医療支援など、多岐にわたるものでした。日本の被災地の人々は、台湾からの迅速で心のこもった支援に深く感謝し、これにより日台間の絆はさらに強まりました。
こうした背景を理解してから旅行に行くと、違った見え方もできるかもしれませんね。